中学時代からの友人がいる。名前を仮に「チカ」としよう。と言いつつも、しっかり本名だったりするんだが。まあいいや。他人事だから。
このチカという女、キャラ的には私とややかぶる。――キャラかぶり、と、これだけ聞いただけでも解ってもらえるだろうが、性格も私に似て悪い。かなり悪い。いや、私なんか及びもつかないほど悪いかもしれない。当然口も悪い。私よりも悪い。悪いというか、ひどい。
そしてチカは、無自覚に個性的な振る舞いをすることで有名な人物。「もしも私が、実在の人物をモデルにした四コママンガ作家にでもなった場合、コイツと友達でいる限り永遠にネタに困ることはないだろう」――そんなことをマジで考えてしまうほどの逸材だ。それほど、彼女に関するおもしろエピソードには事欠かない。
だが、全て語ろうとすればマジで本が一冊できてしまうので、ここでは、このチカという女を語る上で絶対に外すことができない話を一つだけしよう。
こいつ、部屋がす―――っげえ汚えの。
なーんだそんなことか、と思うのはまだ早い。ちゃんと最後まで聞きなさい。どれだけ酷いかは今から説明するから。脳細胞フル回転でギャグひねり出すから。でも別に笑わなくていいから。自分が楽しいだけだから。ただのオナニーだから。つーか聞いて。マジで。ビビるから。
初めて彼女の部屋に行ったのは、忘れようにも忘れられない中二の時、およそ十年前のことだった。うわ、すげえな。年食ったな俺も。って自分で書いて軽く引いてしまったが、そう、確か十四くらいの時だ。
チカとは、中二の時に初めて同じクラスになった。出席番号が並び順で、席が前と後ろだったこともあって、新しいクラスになって一番最初に言葉を交わした奴だった。
話をしているうちに、二人には「誕生日が一緒」という驚きの共通点があることを知り、初日からすっかり意気投合した私達。その後も、学校内だけのつきあいにとどまらず、一緒に遊びに行ったり、一緒に買い物に行ったり、一緒に万引きしたりと「お友達イベント」を順調にこなして行き、次第に親睦を深く、濃くしていった。
そして、お友達イベントの定番中の定番、
「今日、うちに遊びに来ねえ?」
がやってきた。別に人の家に行って何をするってわけでもないんだが、ある程度仲良くなった者同士であれば、一応相手の基地を見ておきたい、という気になるものだ。自分がまだ知らない、相手の暮らしっぷりを見てみたい。ちょっとした好奇心だ。
人が「部屋に来いよ」というのは、「心のドアは開け放たれていますよー」のサインでもある(男女間に関する場合は「ヤッちゃおうコイツ」っつう目的のための手段でしかないが)。これを断ったらある意味失礼にもあたる(男女間で言えば、どう控えめに断っても「ヤらねえよバーカ」という意思表示にあたる)。
なので私も、「いいの? じゃあ行くわ」と軽〜くOK。つーか暇だしな、中学生なんて。バイトもできないし、男もいないし、もれなく親嫌ってるし、あんまり家に帰りたくないし。そんなわけで、その日の放課後、さっそく彼女の家にレッツゴー。
二人で電車にがたごと揺られていると、チカは、やはり人を家に招く時にはハズせない社交辞令的会話、「うち、部屋汚いよ」をくり出してきた。
私も、「人はなぜか自分の部屋をやたら『汚い』と言うが、たいていは誇大表現であるの法則」にのっとって、「あー、そんなん気にしねえよ」と、さらりとかわす。
「ほんとに汚いと思うよ」「別にいいって(俺の部屋じゃないし)」「いや、マジで汚いから」「関係ねえじゃん(住むわけじゃないし)」と、おざなりトークを交わすうちに、チカちゃんハウスに到着した。
「おじゃましま〜す」と、外面だけはやたらいい子な私は、チカちゃんママに明るく元気にご挨拶。これで第一印象はオッケー。「あの子と遊んじゃいけません」とは言われないだろう。
そして一階を抜け、チカちゃんルームに続く、古い造りの一軒家にありがちな、やたら勾配の急な階段を昇った。部屋の前に着き、前に立つチカが「ここ」と言いながら部屋の引き戸を開ける。「おじゃまっすー」と、先程とはうって変わった地声で、ほんとにカタチだけの挨拶をしつつ、チカの肩越しにひょいと中を覗き。
――絶句した。
散らかった部屋を表現する際、「物置部屋みたい」っつうのはよくあるが、この時私の頭に浮かんだ言葉は、「……ゴミ捨て場?」だった。いや、大げさでも何でもなく。
きっと、ここを通過したその奥に、本当の部屋があるんだろう――マジでそう思った。そうあって欲しかった。
が、チカはそのゴミの渦中へずんずん入って行き、鞄を実に無造作に放り投げると、立ちすくんで言葉をなくしている私に、「入っていいよ」と促した。
「あ、ここなんですか?」
――動揺が敬語になった。
その時の私が思ったことは、「入れば、って言われても……」。入りたい、のは山々なんだが……いや、入りたくないと言えばもう全然入りたくないんだが、どうにもこうにも「入れない」のだ。
足を踏み入れたくても、床いっぱいに服、雑誌、漫画、CD、化粧品、紙クズなどが敷きつめられていて、どこに足を着地させていいのかわからない。あまりの凄まじさに、「ああ、足の踏み場がないってこういうことを言うんだなあ」と、本気で感心してしまったほどだった。
だって床が見えないんだもん。タイトルつけるなら「関東大震災、その後」っつう感じだもん。こういうのテレビで見た気がするもん。家具が倒れてないだけだもん。「泥棒が入ったみたい」とか、そんな表現じゃ追いつかないもん。
私は、さっき電車の中で聞いた、チカの「マジ汚いよ」という言葉を思い出し、「ほんとにこういうこともあるんだな、人の言うこともたまには信じなきゃ駄目だな」などと、殊勝にも反省をした。
だが、いつまでもこのまま立ち尽くしているわけにはいかない。意を決して「……あのさあ。これ……踏むよ? 何かいっぱい、落ちてるし……。いいの?」と、恐る恐る聞いてみた。落ちているのか捨ててあるのかはわからないかったが、ゴミを床にぶちまけておく風習など我が家にはないので、とりあえず「落ちてる」という表現を用いた。
「ああ、いいよ別に踏んじゃって」
――そうか、いいのか……。まあ、おそらくこのゴミ、っつうかブツっつうか、その持ち主が言うんだから、いいんだろう。でも、さすがにバキバキ踏みつけてしまうのも気が引けるので、つま先立ちで慎重に入室。足元に細心の注意を払った。
よくよく目を凝らすと、ところどころうっすらと床が見えている地点があるので、なるべくそこを選んで足を置くようにする。……それでも、ハイソックスの足裏に、確実に何かを踏んでいる感触。
あ。ヘアピンだ。これは……クリップ? お、キーホルダーだ。こんなとこに油性マジック(極太)が。しかもフタ開いてるよこれ。あっ、中間テストの答案用紙発見! なんで捨てないんだろ。五十二点なのに。むしろ恥じゃん、とっとくの。……ああ、よく見ると髪の毛もたくさん落ちてるわ。綿ボコリもすごいや。
一歩進むごとに新発見の連続。なんだかだんだん嬉しくなってくるから不思議なものだ。……っておい! 画鋲も落ちてるよ! あぶねえよマジで!! さすがにこれにはクレームを入れたが、「あ、悪い」の一言で片付けられた。
被害を最小限に食い止めようと努力しているのだが、それでも何かしら踏んでいるらしく、痛い。歩くたびにダメージを受ける。魔女に足をもらった人魚姫って、こんな気分なのかしら? ドラクエで毒沼の上を歩く時って、こんな感じ?
そしてようやく、恐らく部屋の中心部と思われる場所にまで進入した。まだ少しおどおどしながら周囲を見渡している私に、やはりゴミ――いや、本や教科書の積み重ねてある机(と、おぼしきもの)の上に、牢名主のごとく座ったチカがこう言った。
「そのへん、適当に座っていいよ」
「って、どこに?」
俺、即レス。もう間髪入れずに。
マジでびっくりしました。ギャグかと思いました。他にリアクション取りようがないです。しかし相手は一応「気を使って」言っているのに、これは少々失礼な反応だったかな、とも思う。それよりもっと気を使うべきことが他にあるのでは?という疑問もあるにはあるが。
案の定、チカは気分を害したらしく、「てっめえムカつく! マジムカつくよ!」と怒り出した。けど、オマエそれ怒る方が間違ってると思うぞ。
チカは怒りながら、制服を脱ぎ捨てさっさと私服に着替え始めた。私の「どこに座れと言うのですか、あなたは私に?」という問いに対する答えはないまま。
ほったらかしにされた私は、仕方なく、床にあるものを足でザザッとよけて、なんとか座れるだけのスペースを作った。自力で。
自主制作したその小さなスペースにぺたんと座りこんで、ひとまず落ち着いてみると、その惨状にもだんだん目が馴れてきた。
私は、チカが、どこまでこの状況を理解しているのか。彼女の神経は果たしてまともなのかどうか。それを確かめる意味でもって、わざと失礼に値する言葉を口にしてみることにした。
「きっ……たねえよな、ここ。マジで」
「うるさいよ。だから言ったじゃんさっき」
「私に対するイヤガラセじゃないよな?」
「うるせえって」
「……ごめん、ちょっと言わせて。この部屋、何かいそう」
「ぶっ殺すよ?」
チカの反応からすると、この部屋が常識を大きく外れて汚い、という自覚はあるようだった。――なんだ、自覚があるんだったら遠慮する必要はねえよな。
……途端にざわりと血が騒ぎ出した。意外に思われるかもしれないが、こう見えても私は、人をけなしたり罵ったりするのがわりと好きな方だったりする。そのため、こういう絶好のターゲットが目の前にある状況では、もう何か言いたくて言いたくて体がうずうずしてくるのだ。
「そこに積んである服って、オブジェみたいなもん?」
「おや、何か腐臭が……」
「ここって、警察入ったら一発で捕まるよね」
「もう隠さないでいいって。その服の山の中に、かくまってんだろ誰か」
という軽めのジョークに、
「オマエ、マジでこれシャレになってねえよ」
「よくここに人を招く気になったよな。その勇気だけは認めるわ。勇気だけな」
「私がここに住んだら、たぶん3日以内に発狂するな」
「部屋が汚い、っつーより、この部屋自体が巨大な汚物って感じ?」
などという若干の本気を交えながら、この部屋に対する正直な感想を思いつくままに述べていく。それはもう嬉々として。ようやく、俺・オンステージっつう感じ。たぶんこの時の私は、このゴミ溜めの中で唯一キラキラ輝いていたことだろう。
私が何か言うたびに、チカから「殺す」「マジムカつくわ」「うるさいよ」等の稚拙な反撃が返ってくるが、もちろんそんなものはまったく意に返さないない。つーか、この部屋の主が彼女だという時点で、すでに勝負はついている。
言いたいことをほぼ言いつくしてスッキリし、今更ながら「初めて来た人んちに、あんまり文句垂れるのも失礼かな」と気づいた頃には、私ももうこの部屋の汚れっぷりに対して、それほど興味はなくなっていた。つっこむポイントはつっこみ倒した。もうこのへんで勘弁してやることにした。つーか、飽きた。
それからは普通に談笑。私も部屋に対する警戒を解きはじめ、徐々にリラックスしてくる。が、姿勢を崩して後ろに手をついたとたん、バキッ! という不審な音が。たった今、てのひらに感じた硬い感触を確かめて見ると――CDケースが割れていた。
そう。現在座っているスペース、そこから少しでもはみ出るとヤバイのだ。……結界に近いかもしれない。
私は、せめてもう少しくつろげるスペースを、と思い、周囲に散らばっていた服や雑誌をかき集め、まとめ始めた。「いいよ、別にそのままにしといて」とチカは言ったが、おまえは良くても私は全然良くない。チカが「何か飲み物取ってくる」と部屋を出て行った間にも、黙々と片付けを続行した。
しばらくして、まとめたこのゴミ、じゃなくて服や雑誌をどこに押しやればいいのか、という問題にぶちあたった。これを置いておけるスペースなどは、少なくとも私の目には見当たらない。
どうにかなんねえかなこれ、と思いつつ周りを見回していると――私は、白いクローゼットの存在に気づいた。なんだよなんだよ。こういうもんがちゃんとあるなら、せめてそこに突っ込んでおけよ。うわべだけは片付くじゃねえか。ったく、しょうがねえな。
そう思って、クローゼットの扉を開けた。無断で。
すると――あまりにもありがちすぎて、逆にまったく考えもしなかった事態が起こった。
クローゼットの中に、すでに突っ込まれきって詰め込まれきった服やら雑誌やらCDやらが、扉を開けたとたん、雪崩のように私を襲ってきたのだ。ドリフかよこれ。
私が悲鳴をあげるのと、チカが麦茶を持って戻って来るのとはほぼ同時だった。開け放たれたクローゼットの扉と、その中から崩れて来たブツをなんとか押し戻そうとしている私を見て、チカは叫んだ。
「馬鹿おまえ!危ないから勝手にそのへん開けるなよ!」
――そんな彼女も、今では立派な一児の母。
現在住んでいる部屋は、チカ曰く「……いや、あの頃より少しはマシになってるよ」。
その、彼女の言う「少し」というのはどの程度のものなのか、一度この目で確かめに行かねば、と思う。